「十二国」という異世界に迷い込んだ主人公。 家に帰りたい…。切実に泣く姿が心に痛く響きます。 日常から急に切り離されるって、怖いのだろうな…。予期せぬ事件や事故に遭った時、人は「帰りたい…。」そう感じるのだろうか。
異世界に行き、全く違う文化に戸惑い、時に騙されたり、ヒヤッとする危うい出来事を経験したり。
そうすることで初めて、見つめ直せるのかもしれない。自分がそれまで疑問も抱かずにいた環境を、当たり前だと思っていた価値観を。
そうすることで、初めて考えられるのかもしれない。自分は、どのようにして生きていきたいのかを。
この壮大な物語の序章では、主人公である陽子が自分の意志に反して強制的に異世界に転生させられる。そこで散々な目に遭いながらも、自分がいなくなった元の世界の家族や友人がどんな様子なのかを、手にした剣に映る映像から見せられる。
そこで陽子は実感することになる。自分の父親が、かなり価値観を押し付け気味の抑圧的な環境で、母親はそれに耐えていたことを、自分も知らず知らずのうちに、そんな父親の価値観に抑えつけられた環境を当たり前に受け入れて生きようとしていたことを。そして、友人たちとの関係も、自分が思っていたよりも薄っぺらいものであったことも。
異世界での壮絶に辛い日々の中陽子は、おそらくは人生で初めて、自分の心の底から湧き上がる強い意志を手にする。
「死にたくないのでは、きっとない。行きたいわけでも多分ない。ただ陽子は諦めたくないのだ。帰る。必ず、あの懐かしい場所に帰る。」
だからこそ、思います。日本でもいい。海外でもいい。知らない所を旅することは大事だと。小説でもいい。ノンフィクションでもいい。本を読むことは大事だと。
旅をすることや本を読むことは、異世界を疑似体験することで、それは十二国記の陽子ほど劇的にではないにしても、自分の生きている環境や、当たり前だと思っていた価値観を見直すきっかけになる。そして何より重要なのが、「自分はどうしたいのか?」を真剣に考える機会を与えてくれることなのだと。
もちろん、考えた末に「今のままでいい」と思うのも自由。「何かを変えたい」と思うのも自由なのだと思いますが。
そして完全に余談ですが、この小説で描かれる異世界・十二国は、人の潜在意識の世界を描いているのだろう、と思って自分は読むようにしています。
現世から十二国の世界へワープする時に、海を通っていくというのが象徴的。
海はまさに、人の潜在意識を表す表現に感じました。もちろん隠喩的な表現ですが。
心理学用語で顕在意識と潜在意識を説明する時に、よく海面上に見える氷山(顕在意識)は氷山全体から見ればごく一部で、海面下にはもっと大きな氷山の根元(潜在意識)が隠れている。という言説は知る人も少なくは無いと思います。
村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」風に言えば、『そこには全てが無くて、全てがある』そんな世界。どんな世界なのか、旅する気持ちで次の巻も読み進めていこうと思います。
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