自由であるために、私たちは本を読んでいるのかもしれません

読書

自由って、「選択肢がある」ことかな…と最近思います。

今日、何をして過ごすか。今日、どこに行くか。今日、何を食べるか。誰と会うか…。などなど。

自分で選ぶことができるか。自分で、決めることができるか。

何であれ、選択肢があるということは、自由を感じることができ、そのぶん、幸福感が上がると思います。

自分で決めた分だけ、責任も自分にあるけれど、その分、起きた結果に納得することができます。だって、自分で選んだのだから。

自分の選択が、もし仮に失敗だったとしても、選べなかった場合よりは、苦にならない。だって、自分が決めたのだから。

何を食べるかの自由、誰と会うかの自由…自由にもいろいろあるけれど、「物事の捉え方の自由」は、とても大事な一つだと思います。

想定外の出来事が起きた時。それをマイナスに捉える人もいれば、「これも一つの“冒険”のはじまりかもしれない」と捉える人もいる。
誰かと思いがけない別れをしてしまった時。もうだめだ…。と思う人もいれば、それを糧に新しい出会いを探そうとする人もいる。

同じ物事でも、人によって、捉え方は違う。どうせ人によって違うのなら、どう捉えるかを自由に選択することができたら、人生そのものが少し自由になると思います。

本を読むと、自分の人生を通常プレイモードで生きてるだけでは会えない人に会えます。それはフィクションであっても、ノンフィクションであっても同じです。

そうすると、物事の捉え方の引き出しが増えていきます。

すると、人生での選択肢が、知らないうちに増えていき、より自由になっていきます。

自由であるために、私たちは本を読んでいるのかもしれません。

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