夏は季節柄、戦争関連の報道が多くなされたり、お盆があったり、怪談話が流行ったりと、何かと死や生に関して思いを馳せる機会が多い季節だと思いませんか?
普段から考えているわけではないにしても、時にこんなテーマに思いを馳せることもあるのではないでしょうか。
いつか終わってしまうこの命にはいったいなんの意味があるのだろうか?
この世界がいつか終わってしまうのなら、全てには何の意味があるのだろうか?
テッド・チャンの短編「息吹」(『息吹』収録、2019年、早川書房)は、ヒューゴー賞などを受賞した、哲学的とも言えるSF小説の名作です。空気圧の流れで全てが動いている機械生命の世界。そんな異世界で生きる、解剖学者の「私」が自らの機械でできた脳を解剖し、生命の仕組みと宇宙の終焉、そして生きる意味を探る物語です。そんな異世界を描いたSF短編小説でありながら、言葉と生命の意味を、読み手に問いかけてくれます。
あらすじ
主人公は、空気の流れで全てが動いている世界で、空気で動く時計の故障に気づき、世界の異変を疑います。それは、全ての源である空気の流れが、近い将来に世界の気圧が全て均衡になることによって止まってしまうということ。
そんなバカな!と信じられなかった主人公は、機械でできた自身の脳を切り開き、記憶や思考すらも金箔テープに刻まれた機械だと知ります。そして衝撃の真実――この世界は閉じられた空間で、エントロピーの増大により「熱死」が訪れ、空気で動くすべての生命が止まる運命にあるという重大発見をしてしまいます。
しかし、その真実を知ってしまった主人公は絶望することなく、未来への記録を残し、存在の意味を静かに受け入れていきます。
この作品の魅力
- 科学と哲学の融合
「息吹」は、熱力学第二法則(エントロピー)を軸に、宇宙の終焉という科学的テーマを扱います。フィリップ・K・ディックの「電気蟻」に着想を得た自己解剖シーンは、生命の本質を問う鮮烈なイメージ。チャンは、科学を通じて「なぜ私たちは存在するのか」を考えさせます。 - 自由意志と希望
機械生命体の世界は物理法則に縛られ、自由意志はほぼない。それでも、語り手は探求をやめず、記録を残すことで未来に希望を託します。この姿勢は、有限な人生でも意味を見出す人間の姿と重なります。 - 言葉は生きる息吹
物語の最後、語り手はこう綴ります:「あなたの思考は、わたしの言葉を読むことで、かつてわたしを形作ったパターンを模倣する。そしてわたしは、あなたを通じて生き返る。」(引用意訳)。言葉は、生命の延長であり、誰かの心を揺らす「風」。読み手がこの物語を読むとき、語り手の息吹が心に芽吹き、生き続けるのを実感するかもしれません。
みなさまへ
「息吹」は、たった30ページ足らずで、生命、宇宙、存在の意味を深く考えさせる物語です。言葉は生きる息吹、生きる意味は誰かの心を動かすために風を起こすこと。たとえ、言葉ではなくとも、その人の行動や、生き様が、他の誰かの心を動かしたなら…きっとそれ自体がその人の意味ではないかと思います。
ある時、中学時代の同窓会が、卒業後10年ほど経ってから開かれました。その時、当時の同級生に、「君にお礼を言いたい。今の自分があるのは、あの時、いじめをしていた僕に、君が真正面から向き合ってくれて色々な言葉をかけてくれたからだ」と言ってもらえたことがありました。大げさかもしれませんが、そこまで彼に思ってもらえたのなら、その点だけ切り取っても自分の生きる意味はあったと。少し顔を上げて生きられるのかな…と思えました。
いつか終わってしまうこの命だとしても、その生命が発する言葉や行動、姿が、見たものの心を動かしたり、何かに影響を与えるのなら、その動きや影響こそがその命の意味ではないでしょうか。
いつかこの世界が終わってしまうとしても、この世界そのものを見つめている存在がもしかしたら外にいるかもしれない。私たちの知らないところで、繋がっているかもしれない。
そんな風に思いを馳せることのできる傑作短編です。ぜひ。

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