いつか必ず来る大切な人との別れ…「その日のまえに」、読んでおきたい小説

読書

抱いた子の重さが増えるのを感じる度に、ああ、この子をこうして抱っこできるのはあと何回だろうか。この子を抱っこする最後の日も近づいているのかもしれないと感じる。

抱っこすること、一緒に食事をすること、遊ぶこと、言葉を交わすこと…。その人とのその交流について、いつが最後の回となるかは誰も教えてくれない。ある程度は予期することができることも多いかもしれないが、またすぐ会えるだろうからこれが最後ではないよね…と思っていると、気が付けばそれは果たされることはなく、実は前回で終わりを迎えていたことに少し経ってから気付かされることの何と多いことか。

かといって、「これが最後だよ」を正確に教えてくれるアプリは需要があっても開発は難しいでしょうし、もし万難を排して発明に至ったとしても、世の中は大変な混乱をきたすかもしれません。

だから、人に許されているのは、終わりや別れを味わう度に、もしかしたら日頃の何気なく交わしている交流も、実はその回が最後になるかもしれないから、できればなるべく丁寧にしよう…後悔のないようにしよう…と自分に言い聞かせることくらいでしょうか。

大切な人との別れが近いことを知り、その日を迎えるまでの日々を過ごす、残される人と去り行く人、それぞれの物語…重松清「その日の前に」。この本を、自分の大切な家族の「その日」がくる前に読めてよかった。

自分はあと何回、家族や友人に会えるかは、誰にもわからない。忘れがちだけど、いつか必ず別れが来る。そしてそれはもしかしたらそう遠くないかもしれないことを意識すると、接し方が変わります。

たとえば、いつも何気なく一緒に見ているテレビ。

「くっだらない番組を『くっだんねーの』と笑いながら観られるのは、じつはすごく幸せなことなのかもしれない。」
死を意識して初めて光のあたる生。それに気付くかなしさ。

「感情の高ぶらない悲しさって、ある。初めて知った。涙が、頬ではなく、胸の内側を伝い落ちる。」

「もう取り戻すことができなくなってから、やっとわかる。」
大切な人と過ごすときは、できるだけいつも機嫌良くいよう。ありがとうをたくさん言おう。そんな気持ちにさせてくれます。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」村上春樹『ノルウェイの森』の一文が、なぜか思い出されました。

どこまでも死を否定したい顕在意識。一方、時に静かな身体感覚を通して受容を促す潜在意識。
私は、これから必ず来る「その日」をどう迎えるのだろう…。いや、どう迎えるかだ。大切な人と別れるその日のまえに、考えるきっかけを与えてくれる物語です。

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